
違う国にいると文化の違いを感じますが、ふと道を歩いている時に見知らぬ人とすれ違ったときにどうしているのかという何気ない風景にも、感覚の違いってあるのだな、と思います。
相手の顔をあまり見ない=失礼?
アメリカに住んでいると、道ですれ違う時やスーパーで買い物している時など、とにかくいつでも気軽に話しかけられます。
みなさんちゃんと顔を見て笑顔で、「Hi」とか「It’s nice out today」などと挨拶してくれて、娘に対してもすごくフレンドリーに話しかけてくれます。
もう慣れてしまいましたが、初めてアメリカに引っ越してきたときは、知らない人に声をかけられると思わずどきっとしてしまってました。
一方で、私の住んでいる地域にはアジア人(とくに韓国人)がたくさん住んでいるのですが、彼らはなかなかこちらを見てこないことに気づきました。
道ですれ違いざまに、”Hi”と笑顔で声をかけても、聞こえなかったのか何も言わずこちらも見ないまますれ違うということが多いです。
ある日その事を夫に話すと、「それってアジア人全体の特徴なんじゃないの?」と言われて、ハッとしました。
思い返すと、私も同じことをしていたのかも。
思わず恥ずかしくてうつむいたまますれ違っていたかも。
そんな時内心はどきどきして恥ずかしくて見れなかったというだけなのに、顔は無表情だし不愛想に無視したように相手には映るのかなと、少し反省させられました。
日本人の友人にこのことを話すと、アジア人はあえて人のことを見ないんじゃないか、という答えが返ってきました。
なるほど。その根拠は、じろじろ見ると失礼になる、という気遣いからきているのかもしれない。
猫が飼い主の目を見ないのは、目を合わせるのは敵意を持っているという意味になるからですし。。(猫と一緒じゃないですよねw)

monicore / Pixabay
ある時、アメリカ人の義母が日本に観光しに来たあとの帰りの飛行機での出来事を話してくれました。
「アメリカ行きの長時間フライトでせっかく隣に座ったのに、相手は日本人の女の子であいさつもしないしこちらを見てもくれなかった」
と言っていました。
どうやら話を聞くとアメリカ人は、近くにいるのに話さない方が不自然、という感覚に近いようです。
失礼にならないように相手を見ない/話しかけないアジア流、
失礼にならないように相手を見る/話しかけるアメリカ流。。
またもや感覚の違いに気づかされた出来事でした。
・・・といっても、別に他人なんだし何もそこまで気を使わなくてもいいか、という気もしますがどっちかを選ぶなら、どうせならフレンドリーで気さくな人間になりたいですよね。
”人は楽しいから笑顔になるのではなく、笑顔になるから楽しいのだ”
体の方が先に反応する、というのが心理学の考え方らしいです。
なるべくなら人生笑顔ですごしたい。その方がきっと自分のプラスにもなるはずです。
なので、私も恥ずかしいしどきどきするけど、なるべく相手の顔を見て笑顔であいさつできる人間になろう、と思いました。2017年の目標のひとつです。
うそです、今決めましたw